
日本音楽コンクール80年を振り返る
楽壇最高の登竜門として知られている「日本音楽コンクール」の開催は、すでに80回を超えている。これまで数多くの有望な新人音楽家を世に送り続けており、応募部門の多さと高い水準により世界の音楽文化の振興に寄与している。
第1回 / 1932年増沢健美氏などの発案により、旧時事新報社の主催で「卓越せる実力を有する音楽家の推薦」「楽壇レベルの向上」を目的として生まれ、野村光一氏や堀内敬三氏ら楽壇の有力者の協力を得て「音楽コンクール」が発足した。以来毎年1回開催、現在に至っている。 |
![]() 東京会館での「音楽コンクール」創設総会
![]() 1938年審査風景
![]() 「挙国一致」の幕に戦争の影を見せる音楽コンクール表彰式(日比谷公会堂)
![]() 戦時下の予選・本選風景
![]() 第30回音楽コンクール本選会へ皇太子ご夫婦ご臨席(東京文化会館)
![]() 第30回本選会バイオリン部門
![]() 第30回本選会声楽部門
![]() 日比谷公会堂での本選会
![]() 東京・内幸町のイイノホールでの予選会
![]() 第60回表彰式(東京都内のホテルにて)
![]() 第62回本選会(東京劇場)
![]() 開演を待つ人たち(東京・池袋の東京芸術劇場にて)
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第7回 / 1938年第6回から毎日新聞社の主催(前年の第5回までは時事新報社の主催であったが、同社が毎日新聞社に合併されたため)になり、ますます盛んになった。その後、日華事変、太平洋戦争の拡大にともない各種の文化活動が次第に衰退したが、「音楽コンクール」は敢然として続行された。 |
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第13回 / 1944年第13回は最も戦争の激化した時だったため「音楽コンクール」という外国語の名称を使うことができず、「音楽顕奨」の名称で行った。 |
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第14回 / 1945年終戦で社会情勢も混乱を極めていたため、第14回を翌21年の春に延期、「音楽コンクール」の名称を復活していち早く実施した。従って21年は終戦直後の混乱の中で春、秋の2回開催された。以後、急速に若い有望な音楽家が登場、戦前以上の盛況をみせて今日の国際レベルの足がかりをつくった。 |
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第16回 / 1947年第16回には皇后陛下が御出席された。 |
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第17回 / 1948年第17回からは作曲部門に室内楽曲の部を設け、管弦楽曲と併せ両方の審査を行った(1966年の第35回まで。36回以降は毎年交互に行っている)。 |
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第18回 / 1949年第18回から日本放送協会との共催に。規模の拡張と機構の充実を図り、予選・本選が全国へ中継放送されるなど新施策を実施した。 |
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第25回 / 1956年この頃になると社会情勢も安定し、各方面の文化活動も活発になり、数多くの日本音楽コンクール出身者が海外の国際音楽コンクールをめざすようになった。この年からは、これらの音楽家のため「特別表彰制度」を設け、ピアノ・声楽・弦楽(バイオリン・チェロ)の3部門の入賞者を交互に審査して毎年1人を海外の著名な国際音楽コンクールに派遣することになった。 |
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第30回 / 1961年「安宅賞」が新設された(1977年に廃止)。「レウカディア賞」が新設された。 |
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第33回 / 1964年「松下賞」が新設された(2009年に廃止)。 |
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第36回 / 1967年第36回からは本選会の模様をNHKがカラーテレビで放送するようになった。内面的充実も望まれ、東京都交響楽団の協力により本選会をオーケストラとの協演で行うようになり、これまで以上の注目を集めた。「加藤賞」が新設された。 |
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第47回 / 1978年「河合賞」が新設された |
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第50回 / 1981年第50回を迎えNHKホールで記念の大演奏会を行った(指揮=森 正、管弦楽=NHK交響楽団、独奏=藤原真理・海老彰子、三重奏=江藤俊哉・堤 剛・松浦豊明の各氏)。「増沢賞」が新設された。 |
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第51回 / 1982年第51回から名称を「日本音楽コンクール」と改称。また、採点方法をこれまでの「増沢方式」から「点数制」とし、空位(該当者なし)も認めることになった。「黒柳賞」「福沢賞」が新設された(福沢賞は1994年に廃止)。 |
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第52回 / 1983年「木下賞」が新設された。 |
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第54回 / 1985年「井口賞」「鷲見賞」が新設された。 |
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第55回 / 1986年多くの日本人が海外のコンクールで活躍するようになったため、「国際音楽コンクール参加特別表彰」を別建てとせず、「海外コンクール参加のための表彰」として本コンクールに審査を組み込むことになった。 |
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第56回 / 1987年「E.ナカミチ賞」が新設された。 |
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第57回 / 1988年「野村賞」新設。対象はピアノ部門最優秀者に。「コンクール委員会特別賞」が新設された。 |
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第60回 / 1991年第60回からは声楽部門を「オペラ・アリア」と「歌曲」に分けて、隔年ごとに実施することになった。また管楽器部門の審査はフルート、クラリネット、トランペットの三種に絞られることになった。採点方法は今回から25点満点の最高、最低点カットの合計制を採用。また、創設60周年を記念して内外で活躍中のコンクール出身者12人が出演して3日間にわたってBunkamuraオーチャードホールでガラ・コンサートを開催、NHKテレビでも放送され反響を呼んだ。「安田賞」が新設された(2004年に明治安田賞に改名)。 |
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第61回 / 1992年中断していたコンクール各部門優勝者を集めた受賞者発表演奏会を60回を契機に復活させ、第1位に輝いた4部門の入賞者が東京芸術劇場大ホールで共演した。会場は2000人を超えるファンで埋まり、NHKテレビで2回にわたり放送された。 |
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第62回 / 1993年第62回から本選会の会場が日比谷公会堂から東京芸術劇場大ホールへ移されることになった。「三宅賞」が新設された。 |
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第64回 / 1995年第64回から演奏部門に限り、第2予選(ピアノ、バイオリン、フルート部門は第3予選)で獲得した点数の60%を本選の点数に加算した合計点をもとに順位を決定することになった。 |
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第66回 / 1997年第66回から審査部門を6部門とし、管楽器部門はオーボエ、ホルンを増設することになった。 |
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第67回 / 1998年第67回から本選会の会場は東京オペラシティ コンサートホールへ移されることになった。 |
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第70回 / 2001年第70回を記念してコンクール出身者7人が出演するガラ・コンサートを東京オペラシティ コンサートホールで2回にわたり開催した。記念の作曲委嘱も行い、サントリーホールで2回上演された。第70回の本選会を東京文化会館大ホールで行うことになった。「徳永賞」が新設された。 |
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第72回 / 2003年本選会に「岩谷賞」(聴衆賞)が新設された。 |
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第73回 / 2004年「吉田賞」が新設された。 |
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第77回 / 2008年第77回から作曲部門本選会の採点において、譜面審査会で獲得した点数を加算しないことになった。 |
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第80回 / 2011年創設80周年を記念して、2日間にわたりNHKホールでガラ・コンサートを開催。国内外で活躍中のコンクール出身者12人が出演して、大きな反響を呼んだ。 |